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小学2年生の娘に立ちはだかった壁。
完璧主義な長女の朝は早い。
まだ家族全員が寝静まる中、
明け方5時30分には大体起きている。
前日から用意した洋服に着替え、
髪をとかし、
自分と弟の水筒、
自分の学校の用意と、
弟の準備までも済ませてくれる。
それらが終わると、
静かに絵を描いたりして、
みんなが起きてくるのを待っている。
私には持ち合わせていない、
面倒見の良いしっかり者の娘だ。
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心配性な娘は、
学校もかなり早く着く時間に家をでる。
夫と同じ時間に家を出るのが落ち着くらしい。
友達と合流できる時間を考え、
出発時間を決めているようだ。
進級したばかりの4月。
必ず持っていく提出物があった。
ところが出発直前に
お腹が痛くなってしまった娘。
5分だけ、いつもより出発が遅くなってしまった。
夫はすでに仕事に行ってしまった。
まだお腹が痛い娘は、
予定が狂い、
混乱して涙が止まらなくなってしまった。
いつもの時間じゃない、
パパが先に行ってしまった、
早く行かなきゃ、
でもお腹も痛い…
友達と学校にいけないかもしれない…
間に合わないかもしれない…
遅刻で怒られるかもしれない…
もう学校行きたくない…
焦りからネガティブな感情が渦巻く。
まだ時間には余裕があるから
大丈夫だと伝えても、
失敗をしないようにと、
生真面目に生きていた娘には
辛いハプニングだったようだ。
結局泣き止む事ができず、
登校時刻が過ぎていった。
私は小さい子ども2人の準備もあり、
送っていく事もできず、
かと言って提出物を出すから
休ませるわけにはいかない。
「提出物出して、嫌なら帰って来ればいい」と伝え、
ようやく送り出したのだが、
遠くから泣き声が聞こえる。
これも生きていく訓練だと思い、
見送った朝の始まりだった。
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下校時刻。
途中で帰宅する事もなく、
帰ってきた娘は笑顔だった。
ほっとした。
泣きながら学校に向かう娘を心配して
ご近所のおばあちゃんが
学校まで一緒に歩いてくれたこと。
遅刻した罪悪感から表から入られなかった娘を、
事務の方が教室まで送り届けてくれたこと。
教頭先生や校長先生が廊下で
「よくきたね」と言ってくれたこと。
お友だちが「間に合うよ」と
声をかけてくれたこと。
そして先生が優しかったこと。
帰ってきた娘からはそんな事を
教えてもらった。
たくさんの人に支えられている事を
実感した1日だった。
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どんなに準備をしていても、トラブルは起こる。
それは失敗ではない。
そしてほとんどの心配は
自分自身が作り上げている妄想だ。
お腹が痛くなってくれたおかげで、
準備とは関係なく、
ハプニングが起こる事を学んだ。
お腹が痛くなってくれたおかげで、
たくさんの人の優しさに触れる事もできた。
お腹が痛くなってくれたおかげで、
心配していたことのほとんどが
実は大したことないんだって
気が付くきっかけとなった。
そんな事を娘のお腹は
娘に教えてくれた。
一見、ネガティブに思えることも
「おかげで」に変えると
たくさんのギフトになる。
人生にはたくさんの壁がある。
それを乗り越えた時、
出来事に対して
「おかげで」の感情は過去を変える。